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やっぱり定額給付金は受け取らない。

未分類
2009.04.06
ブログ更新は休止中なのですが、ちょっとしたイベントがあったので、この場に意見を書き込んでおきたいと思います。例の「定額給付金」の通知が我が家にも届いたのです。私は以前このブログで反対表明をしたわけですが、当然ながら「こんなオカネ」は受け取れません。そのことを改めて、誰にでも見られる可能性のある場所で、はっきりと示しておきたいのです。

下の写真は我が家に届いた通知書と申請書ですが、家族の名前や住所等を黒く塗りつぶした上で、振り込み口座の欄にバッテンを書いておきました。ちょっと汚くなっちゃいましたが、こうすればもう申請したくなってもできません。とりあえずこの状態で、私の机の引き出しにしまっておくことにします。いちおうこれを「定額給付金拒否」の証拠写真ということに。

申請書


なかなか面白かった水谷氏のたとえ

なぜ「定額給付金」に反対なのかについては、すでに書いたことなので、ここでは繰り返しません。でも最近PodCastを聞いていたら、あるラジオ番組にゲスト出演していた「夜回り先生」の水谷修さんが、面白いことを言っていました。

彼が子供のころ親戚の家に行ったときの話なのですが、その家の主人が門付け芸人に対してお金を渡す際に土間に放り投げたところ、その芸人が「私は乞食ではないのだからこんなお金は受け取れない」といったそうなのです。水谷氏は「定額給付金」もこれと同じようなものだと指摘していました。私自身は水谷氏の発言や行動に対して全面的に賛同しているわけではないのですが、これに関しては、なかなかうまいことをおっしゃると思いました。

さらに彼は、いま「定額給付金」を教育関係のNPOに寄付する運動を展開中だという話もしていました。実はこの話を聞いたとき、私も「定額給付金」を受け取って、この活動に参加した方がいいかもしれないとも考えたのです。しかし結局のところ、私は「定額給付金」の受け取りを「拒否」することに決定しました。それはなぜか。もしこれを受け取ったら、私は「この政策に賛成した」ということを、行動で示すことになるからです。

もしその政策に反対であるならば、行動でもスジを通すべきです。反対表明してもそれと反対の行動に出てしまえば、反対表明はまったく意味をなしません。もし反対者も受け取ってしまえば、受け取った人の割合が多いことを理由に、「政策は国民に受け入れられた」と政府は評価するでしょう。

「受け取る」97%にちょっとがっかり

このような「スジを通す」ことを大切だと思う人は、ひょっとすると少数派なのかもしれません。むしろ「どうでもいい」と思っている人の方が多いのでしょう。今朝の「日経新聞」にもそれを裏付けるデータが掲載されていました。アンケート調査によれば「定額給付金を受け取る」と回答した人の割合は97%に達しており、「受け取らない」がわずか1%だったというのです。

この数字を見たとき私は「ああ、そんなもんなのか」と感じました。私の記憶が確かであれば、「定額給付金」には約7割の人が反対だったはずです。それにも関わらずほとんどの人がこれを受け取るという。もちろん否定的だった7割すべての人が「受け取り辞退」するとは、私だって思ってはいません。でも「2~3割でもいれば」と思っていたことは事実です。でも結果はそうではなかった。白洲次郎は著書の中で「日本人にはプリンシプルがない」と指摘していましたが、その状況はいまも変わっていないのかもしれません。

ここから先の話はちょっと飛躍するので、書くべきかどうか悩んだのですが、やはり書いておこうと思います。それは「もし私たちが1930年代にタイムスリップしたとして、第二次世界大戦への参戦を防ぐことはできるのか」ということです。私は97%の数字を見たとき「たぶん同じことを繰り返すんだろうな」と感じたのです。

たかが「定額給付金」の受け取りで、ここまで話を発展させるのは大げさでしょうか。私はそうは思いません。もしある政策に反対していても、行動がそれに伴わなければ、結局は賛成と同じである。もしアンケート調査に「戦争反対」と回答しても、行動がそれに伴わなければ、結局は戦争に突入することになる。私が言いたいのはそういうことです。

国民の行動こそが政策を左右する

私たちは毎年夏になると、戦争の悲惨さを描いた記事やテレビ番組を目にします。多くの人々は「もう二度と戦争は起こすべきではない」と口を揃えて言います。でもそれだけで戦争を回避できるのでしょうか。戦争責任というと特定の指導者だけに目がいきがちですが、指導者の行動を検証するだけでいいのでしょうか。

私は「その当時の国民も戦争に参加していた」ことを忘れてはならないと思います。厳しい言い方だとは思いますし、後世の人間があとづけで戦争当時の一般の人々を批判するのは、確かにフェアではないでしょう。でも多くの国民が「参戦」という政策に従って行動したことが、結局は戦争遂行を可能にしたのです。もしこの点を見逃してしまえば、歴史から学ぶことはできないと思う。トップの決断や行動だけでは歴史は動きません。それに従う人々がいて、その人々が大きな流れを作ったからこそ、歴史は動いたのです。

開戦当時、参戦に反対した人や、日本の敗戦を予測した人は、決して少なくなかったといいます。でも彼らのほとんどは招集に応じ、戦争遂行に参加することになった。おそらくそれぞれに事情があり、思うこともあったとは思う。でも彼らのうち2~3割でも「参戦反対」を行動で示すことができたなら、その後の状況も変わったかもしれません。

例えば前述の白洲次郎は「自分の生活の一片たりとも愚かな戦争に荷担させたくない」と言い切り、赤紙が来たときにも招集を拒否したという。でもこのような人は、いったいどれだけいたのでしょうか。白洲次郎に対しては賛否両論あるのでここではあまり深く掘り下げることは避けたいのですが、当時の状況下で「戦争には荷担しない」という行動を取ったことは、それなりの評価を与えるべきだと考えています。

もちろん「定額給付金」を拒否することは、赤紙を拒否することに比べれば、はるかに易しいことです。申請という行動をしなければいいだけの話で、心理的な葛藤もない。まったく比較することすらおこがましい話です。でも私は「一事が万事」という諺は正しいと思う。結局のところ、国の政策を最終的に承認するのは国民の行動であり、国民のあり方によって国のあり方も決まってしまうのです。この程度のスジを通せない国民が、より困難なスジを通せるとは思えないのです。

暴走しやすい日本政府の仕組み

日本の場合には統治システムにも問題があるので、政府の暴走が発生しやすいということも、我々国民は肝に銘じておくべきです。すでに多くの方が感じていると思うのですが「議院内閣制」は明らかな欠陥システムだといえます。

そもそも議会というものは、ふたつの機能を果たすために存在します。ひとつは立法、もうひとつは内閣(政府)に対するブレーキです。しかし現在の日本の議会は、これらの機能を十分に果たせていません。

まず第一にほとんどの法案が政府サイド(つまり官僚)から提案されており、議員立法の比率が極めて少ない。これは「政策遂行のためには法律が必要」という政府サイドの事情や、立法に必要な情報量が政府サイドに多いという、ある意味必然的な事情があるので、しかたのないことかもしれません。

しかしもうひとつの問題、内閣に対するブレーキ役を十分に果たせていないという点は、看過できないものです。議会が内閣に対する牽制勢力にならないのであれば、その存在意義はほとんどないからです。

議会が内閣に対する牽制勢力にならないのは、衆議院の多数派が内閣を組織する「議院内閣制」にその原因があります。内閣は衆議院勢力のコピーであるため、その政策が衆議院で否決される可能性は非常に低くなるのです。また参議院で否決されても、時間さえかければ衆議院で再可決できる。つまり現在の政府には、法的な牽制勢力というものは、原理的に存在し得ないことになります。

私たちの選択肢は限られている

さらに言えば、私たち日本人は、政府のトップを選ぶこともできない。自治体の場合には知事や市長を直接選択できるのに、国の場合には衆議院選挙によって間接的に内閣を組閣する政党を選べるだけです。しかもいったん衆議院で多数派を占めてしまえば、次の衆議院選挙が行われるまで、どんどん首相を「禅譲」したり、政党内の選挙だけで変更できる。あげくの果ては「そこにいる森くんでいいんじゃないか」みたいな形で首相になる人すら現れるわけです。

このような統治システムの中では、私たち国民の意思表明の選択肢は限られてしまいます。私自身はできるだけ早く「首相公選制」もしくは「大統領制」に移行し、国民が直接トップを選択できるシステムになって欲しいと思っているのですが、最近では「首相公選制」に関する議論も下火になっていますし、実現にはいろいろと難しい課題もあるようです。

このような状況の中で、政府が適切な政策を立案し、それを適切に遂行できるようにするにはどうすればいいのか。私たちは真剣に考えなければいけないと思います。「定額給付金」に反対する人が、それを「拒否」することは、重要な選択肢のひとつです。もちろん「賛成」の方は、胸を張って受け取られればいいと思います。政策に賛否両論あるのは世の常ですし、それぞれが自分のポリシーに合った行動を取ればいいのですから。

ひょっとしたら「定額給付金」を受け取って、教育関係のNPOに寄付した方が、短期的にはメリットが大きいのかもしれません。でもそれでは、政府が行うべきことを行わず、行うべきではないことを行うことを、消極的ではありながらも認める結果になってしまう。いろいろなご意見はあると思うのですが、日本の国のあるべき姿を長期的に考えた場合には、やはりこれを「拒否」すべきではないか。「定額給付金」に否定的な私としては、これがスジを通す上での「最善の選択肢」だと考えているのです。

なおこのブログは、コメント・トラックバックの設定を行っていません。もしご意見のある方は、以下に示すmixiのURLでお願いします。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1130207420&owner_id=4143767
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それではまた、お会いできる日まで。

未分類
2009.02.19
少々思うところあり、
しばらくの間ブログを休止することにしました。

いずれは何らかの形で再開することになると思います。

それではまたお会いできる日まで
ごきげんよう。

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定額給付金を拒否します。

未分類
2008.11.13
いま政府が議論している「定額給付金」ですが
私はその受け取りを拒否することに決めました。

「辞退」ではなく「拒否」です。なぜかといえば、
この政策は適切なものではないと判断するからです。
従って「反対の立場」を取ると同時に
万一この施策が実施された場合でも、
その結果の受け取りを拒否することを、
明確に表明しておきたいと思います。

我が家は子供が3人いるので、現在の想定では
一家で8万4千円受け取れる計算になりますが
受け取るべきではないオカネは、受け取れません。
これについては妻とも話をし、合意しています。

なぜこの施策が適切ではないと考えるのか。
私は政府が税金を使って行う施策は、
以下の2点をクリアすべきだと考えているからです。

(1)
その施策が「社会的な価値」を生み出すこと。
あるいは国民にとっての安全や最低限の生活を
保障するためのものであること。

(2)その施策を実現する主体者が、政府以外には考えられないこと。

例えば治水などの防災対策、全国規模の道路整備、
安全保障への取り組み、事業化が難しい基礎研究、
子供達に対する「機会均等」の実現などは
大きな社会的な価値を生み出すものであり、
何らかの形で政府がリソースを提供しないと
なかなか実現が難しいものだと思います。
また低所得者層へのセーフティネットや
適切な税制を通じた国民所得の再配分も
政府が関与すべきものだと思います。

しかし今回の施策は(1)の要件を満たしていないと思います。
税金として集めたオカネを再び国民に戻しても
それは単なるオカネの出し入れであり
その過程では何も価値を生み出しません。

「全国民定額」なので、セーフティネットでもありません。
また所得の再配分を意図しているのであれば
税制を改正するのがスジだと思います。

そもそも国民は、国家レベルでなければできない
社会基盤整備を実現してもらうために
税金を支払っているのではないでしょうか。
少なくとも私はそう考えています。
だからこそ「定額給付金」のようなものに
リソースを費やして欲しくないのです。
こんなことを行う前に、行うべき施策は数多くあります。
「定額給付金」によってそのリソースを減らすのは
適切なマネジメントだとはいえないと思います。

「定額給付金」の議論の中には
自治体への丸投げやら、事務的負担やら、
その実現性を問うものも少なくありませんが
そもそも施策自体が適切ではないと思うのです。

もちろん「定額給付金」という施策を
適切なものだと考える方もいるかも知れません。
政府が何を行うべきか、という議論には
様々な意見があってしかるべきだと思います。
でもこの施策がいったい何を生み出すのか、
その事務処理に必要なコストに見合う価値なのか
よく考えた上で、判断していただきたいのです。

もしあなたが「定額給付金」が適切でないとお考えなら
ぜひ「定額給付金拒否(辞退ではない!)」の表明を
していただけないでしょうか。
「施策には反対」だけど「もらえるものはもらう」というのは
できれば止めていただきたいと思うのです。

もちろん
「そんなことはこちらの勝手でしょ」
というご意見もあるでしょう。
でも結局のところ、私たちの未来を決定するのは
私たちの判断と行動の積み重ねです。
もし「定額給付金」を受け取ったのであれば
あなたはその施策に「結果的に賛成」したことになります。
余計なお世話かもしれませんが、そういうことです。

政府は「定額給付金」のようなものではなく
もっと意義のある施策にリソースを費やして欲しい。
私は切にそう願っています。

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今回の株価下落で感じたこと(2)

未分類
2008.11.04
前回の続きです。

今回の株価下落の引き金になったのはリーマン破綻ですが、その背後にはサブプライムローンを組み込んだ派生金融商品バブルの崩壊があります。バブル崩壊といえば、私たちの年代(40代半ば以上)であれば、成人してから3度目の経験だといえます。1990年代初頭のバブル崩壊、今世紀に入った直後のITバブル崩壊、そして今回のものです。今回のものが前回のふたつと異なるのは、日本で発生したバブルではなくて、アメリカのバブル崩壊のアオリを受けた点ですが、まあそれでもバブルはバブルです。

で、考えたのは「我々は今後、バブルの発生と崩壊を、防ぐことが可能なのか」ということです。バブル崩壊でいろいろな問題が起きると、いつでもなぜバブルが起きたのか、マスコミなどが悪者探しをしますよね。それからバブルを発生させないためには何が必要だったのか、といった議論も展開されます。でもあれってなんだか、私にはちょっと違和感があるんです。

それは何故か。私の個人的な意見を言ってしまうと「バブルの発生と崩壊は人類の本能に根ざしているので、今後もまたバブルは発生し、それはまた必ず崩壊する」と考えているからです。つまりバブル発生は本質的に避けられないし、その崩壊も避けられない。これが私の考えです。

バブル発生を促す人間の本能は、大きく3種類あります。「あります」なんて断定的な言い方をしてますが、正しくは「あると思います」ですね。

まず第1に、多くの人間はバブルの発生を「心の底では望んでいる」からです。経済的なバブルというものは、掛け金を持ったプレイヤーが集まらなければ発生しません。バブルを発生させるのは、そこに集まった人間がもつ「バブル願望」なのです。いったん市場が活性化すれば、この願望は市場価格をエスカレートさせていきます。市場価格がエスカレートすれば、バブル願望はさらに大きくなります。

これは一種のポジティブフィードバックです。マイクとスピーカーをアンプでつないで、スピーカーの前にマイクを置くようなものです。音はどんどん大きくなってハウリングを起こします。そして運が悪ければスピーカーかアンプが壊れます。バブルというものはこれと同じです。

でももしプレイヤーに理性があれば、バブルになる前に市場のエスカレーションが沈静するのではないか、という意見もあると思います。でもそうはなりません。何故かと言えば、バブル市場に参加する多くのプレイヤーには「理性がない」からです。ここでいう「理性がない」という言い方には、2つの意味があります。

ひとつは「人間は直線的に物事を捉える傾向がある」という、一種の認知的な限界です。これがバブルがなくならない第2の理由です。例えば「一定期間上がり続けてきた市場」を目の前にすると、それが「いつまでも上がり続ける」ように錯覚します。いったん下がり始めれば、同じように「いつまでも下がり続ける」ような恐怖にとらわれます。そのため市場での価格変動というものは、注目度が高ければ高いほど「オーバーシュートする」傾向が強くなります。

「理性がない」のもうひとつの意味は、人間というものは「頭を使うことが嫌い」だということです。これはいくつかの書籍で指摘されていますが、人間の脳というものは、複雑な思考を避けて、できるだけ楽をしようという本能があるらしいのです。

例えば高騰し続けている株価を見たとき、その背景を緻密に分析することなく「買い」に走る人は少なくありません。また株式市場にはさまざまな「格言」が存在しますが、そもそも格言というものは「事実の検証や分析的思考を行うことなく、類似パターンに当てはめるだけで結論を得ようとするもの」です。少なくとも私はそう考えています。

今回のサブプライムローン問題の背景にも「自分の頭を使わないレイヤー」の存在が見え隠れしています。これは日経新聞のコラムで読んだような気がするのですが、サブプライムローンを組み込んだ金融商品は、目論見書というか、説明書というのか、ものすごい膨大なドキュメントに目を通す必要があったらしいですね。私が読んだコラムは、このドキュメントを見て「これだけ膨大な情報を理解することは人間の限界を超えている」と考えて、その金融商品への投資をあきらめた人の話だったのですが、それでもその金融商品は飛ぶように売れたそうです。

一般的な人間の限界を超えた理解力を持つ人が、たくさんいたということなのでしょうか。おそらく違うと思います。その金融商品を購入した人の多くは、ドキュメントの内容を理解せずに買ったのでしょう。しかも今回のプレイヤーの多くは、いわゆる「一般投資家」ではなく、投資銀行のような「プロ集団」です。「理解できないものは買わない」というのは投資の第一原則だと思うのですが、世の中には「理解できないものでも買う」プロ集団が存在するといわけです。

金融のプロですらそうなのですから、一般投資家にとって金融商品を理解して購入することは、決して簡単ではありません。目の前の値動きを見ただけで売り買いするケースも多いはずです(というか、そういうケースの方が圧倒的に多いはずです)。でもこれは、理性的な行動とはいえないのではないでしょうか。

つまり私たち人間は(少なくとも市場に参加する多くの人間には)、常に3つの問題を抱えているということになります。バブルの到来への強い願望、物事の変化を直線的に把握しがちな認知的限界、そして脳みその「省エネ指向」です。この3つの問題がある限り、またバブルは発生しますし、それは必ず崩壊します。しかもこれら3つの問題は、人間の本能に根ざしているものなのです。

結局のところ、私たちはバブルから逃げられない。それが私の結論です。まあ私自身も自分の理性には自信がないんですけどね。

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今回の株価変動で感じたこと(1)

未分類
2008.10.31
 リーマンブラザーズの破綻から、株価が乱高下してますね。2008年6月頃には14000円程度だった日経平均株価も、先日7000円近くまで下がり、また9000円くらいまで上がっています。すでに保有していた株価が下落して痛い思いをしている方にとっては、まさに「暴落」という表現がぴったりなのかもしれません。

 でも個人的には今回の株価の動きを「面白いものだなあ」と思いながら眺めています。もちろん私が保有していた株も大きく値を下げていますが、ここまで株式市場全体が低迷すると、新たに株を買い増すチャンスでもあります。キャッチコピーを付けるとすると「リーマン破綻!半額大セール!」といったところでしょうか。日本だけではなく世界中の企業が、まさにバーゲン価格で売り出されているわけです。

 結局のところキャピタルゲイン狙いの投資は、純粋な意味での「投資」ではなく、どこかしら「投機」の色合いを含んでいます。「投機」は結局のところ博打の一種であり、勝つときもあれば負けるときもあります。ある程度のキャッシュさえ持っていれば、誰でも参加できる「ゲーム」なのです。

 また投機というものは、手持ちの資産の形を変換する作業に過ぎない、と定義することもできます。例えば株を購入するということは、「キャッシュ」という右手の上から、「株式」という左手の上に、「資産」というボールを移し替えることです。右手と左手の大きさは株式市場の動向によって、相対的に変化します。左手に資産を移した後に左手が右手より大きくなれば、その上の資産も一緒に大きくなる。私はそんなイメージをもっています。

 もちろん資産の形はキャッシュと現金だけではありません。債権とか外貨とか不動産とか金とか、他にもいくつかの形が考えられます。結局のところ、これらの複数の手の上で資産をお手玉しながら、どれだけ資産というボールを大きくできるのか。これが投機というゲームなのでしょう。

 このように考えると、今は多くのプレイヤーが、資産を「キャッシュ」という手のひらに載せ替えている状況だといえます。世界的に株価が下がり、原油価格も下がり、不動産価格も下がりつつあります。日本の株価が下がっているのに円高が進んだのも、多くのプレイヤーが投機の選択肢として、ドルや円というキャッシュの枠からはみ出しにくいからだといえます。

 このような状況では、株価はちょっとしたことでも、大きく変動する傾向を持つと思います。投機を行うプレイヤーにとって、いつまでも資産を右手(キャッシュ)の上に置き続けるのは得策ではないからです。異なる通貨間で資産を移動しても、キャピタルゲインはたかが知れています。きっかけがあれば左手(株式)の上に資産を移したい、でもそのきっかけがなかなかつかめない、というのが、多くの投機家の本音ではないでしょうか。

 最近のフォルクスワーゲンの値動きを見ても、この心理が読みとれます。ポルシェによる買収の話が出た後一気に株価が上昇し、その後また一気に下落しています。これからしばらくの間は、このような値動きをする株がいくつも登場するような気がします。

 いずれにしても投機には、常に運の要素が残ります。儲けようと思って参加したのであれば、損をするのも自己責任です。株式を売買する時には、常にこのことを意識すべきです。

 でも株価下落で銀行の自己資本率が下がり、貸し渋りや貸しはがしが起きるのは、ちょっと困りものですね。銀行として安定した機能を提供するには、銀行の株式保有は、やはり制限すべきではないかと感じています。直接金融と間接金融が相互に補完的な役割を果たすようにするには、どのような取り組みが必要なのか。これは金融業界が社会的責務を果たす上で、重要な課題になると思います。「晴れの日には傘を貸してくれるのに、雨が降ると傘を持っていってしまう」と言われないためにもね。

 なおここに書かれていることに基づいて行動を起こしたとしても、その結果について当方は一切関知いたしません。当たり前のことですけど、念のため。

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