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私のプログラミング遍歴

ブランディング試論
2008.11.11
たぶんこれから、プログラミングについてエントリーを書くことが多くなると思います。そしてその内容には、けっこう見当違いなものも出てくるような気がします。そこで今回は、私自身のプログラミング経験が、どのように作られたのか、簡単な自己紹介をしておきたいと思います。「何であいつはこんな(変な)ことを書いているんだろう」と思われた時に、何らかの参考になるかもしれないので。


1.趣味の時代(1980~1987年頃)

私の最初のプログラミング経験は、ちょっと変わっているかもしれません。モトローラ6802の機械語だったんです。アセンブリ言語ではなくて機械語です。プロセッサーとかメモリーとかペリフェラルLSIとかユニバーサル基盤(56ピンスロットに挿入できるヤツ)とかを秋葉原で買ってきて、何百ものリード線を半田付けしてマイクロコンピュータを作って、その上で動くモニタープログラムを作る所から始めたのです。

これがその自作のマイコンです。ちょっとぼけていますが、雰囲気はわかるとおもいます。ちなみにこれはプロセッサボードで、他にメモリーボード、I/Oボード、ビデオボードなどがあります。

自作のプロセッサボード

時代は1980年頃。当時「RAM」というマイコン雑誌があって、そこに乗っていた回路を自分なりに(ちょっとだけ)アレンジして作成しました。最初のプログラムコードの入力は、トグルスイッチをビット毎に並べて2キロバイトメモリーに直接書き込むというもので、プログラムを書き込み終わったら、CPUのクロックをスタートするという、実に原始的なものです。その後、電卓キーボードの入力、7セグメントLEDの出力、ビデオ出力、カセットテープへのデータ記録装置(サッポロシティスタンダード!)を付けて、これらを制御するための原始的なプログラムを、機械語で直接書いていました。

しかしこんなマイコンでは、ろくなことはできません。そこで1983年にパソコンを購入しました。富士通のFM-7です。当時はNECやシャープなど、数多くの電機メーカーがパソコンを発売していましたが、私は「プロセッサがモトローラ6809だ」という理由だけでFM-7を選んだんです。だって8ビットプロセッサとして初めて掛け算命令(確かニーモニックは「MUL」だったと思う)が実装されたプロセッサだったんですよ!その1~2年前に「月刊 ASCII」が「6809特集」をやったときには興奮しましたね。あこがれのプロセッサだったんです。余談ですが、このプロセッサにはなんと「SEX命令」もありました。ウソのようですがホントの話ですよ。

でもFM-7で最初に使っていたのはBASICです。その後「プログラミング言語K」という、Pascal系のような言語を中心に使うようになりました。まあ、たいしたことはやっていませんけどね。画面上にたくさんの人魂がふわふわ動いているのとか、ワープロもどきとか、レイトレーシングのCGもどきとか。それからOS-9 Level1もFM-7に突っ込んだ記憶があります。この頃、5インチフロッピーが10万円前後で買えるようになったんじゃあないかな。私にとって当時の最大のテーマは「リロケータブル」で「リエントラント」なプログラムを書くことでした。懐かしいですね。

これと並行して、大学の研究室ではHP-BASICを使っていました。建築系の研究室なのですが、私は建築振動を研究テーマにしていて、FFT(高速フーリエ変換)やらモード解析やらをHPのワークステーションでやっていたのです。それからアルバイト先では、UNIXでFORTRANプログラムのデバッグとか、光ファイバーの断線箇所を後方散乱光の時系列変化から自動的に判別するHP-BASICプログラムの開発とか(ああややこしい)をやっていました。まだHPのワークステーションが、HP-BASICとUNIXの選択ブートだった時代です。1880年代半ば過ぎですね。

このアルバイト先にはNTTやNECのUNIXマシンもあって、NECのUNIXマシン(確かEWS4800の初期モデル)は1日に何回かクラッシュして、そのたびにNECのエンジニアの方が来ていました。当然ながらUNIXを仕事で使うのはまだ実験的な段階で、この会社もメインのプロジェクトはメインフレームやVAXで動いていたはずです。私はUNIXを希望したので、毎日クラッシュするいくつかのUNIXマシンで、実験的な仕事の一端に参加することになりました。自宅でOS-9を使っていると、やっぱりUNIXがあこがれのOSになるんですよ。


2.仕事の時代(1988~1996年頃)

学校を出た後は日本IBMに入るのですが、入社の動機は「コンピューターメーカーの中で(たぶん)最も初任給が高かったこと」と「UNIXビジネスに本腰を入れ始めていたこと」です。当然ながらAIX(IBMのUNIXシステム)部門に配属を希望し、その通りの配属となりました。当時のIBMにはUNIXを知っている人がものすごく少なかったため、希望が通ったのだと思います。

やっていた仕事は、ソフトウェア会社さんのポーティング支援、マシン貸し出し制度の構築、導入先で発生した技術的トラブルの解決、マーケティング関係など多岐にわたっていましたが、基本的には「プログラミングが仕事」という環境ではありませんでした。でも1度だけ、仕事としてプログラミングに専念したことがあります。それは3次元CADで使うライブラリーのパフォーマンス比較のためのテストプログラム作成です。

当時ある自動車メーカーさんが、次世代CADとしてgraPHIGSというライブラリを使ったワイヤーフレーム3D CADを制作していたのですが、なかなか思ったようなパフォーマンスが出ませんでした。そこで当時AIX上で動いていたもうひとつのグラフィックライブラリであるGLと比較して、米国のgraPHIGS開発部隊に「パフォーマンスアップのプレッシャーをかけよう」ということになったんですね。こういう話になったのは、このプロジェクトの担当営業やgraPHIGSの日本側の担当者とたまたま雑談したときに、私が「GLなら10倍くらいのスピードになりますよ」と言ったのがきっかけだったと思います。でも社内でGLとC言語の経験がある人がほとんどいなかったので「じゃあおまえが作れ」ということになったわけです。

graPHIGSを使うのは初めてだったんですが、ワイヤーフレームモデルの表示、要素のピック、ピックした要素の編集、といった基本オペレーション機能を、約5000行のテストプログラムで再現しました。それからGLでも同じ機能のものを作成し、合計で約1万行のC言語プログラムをドキュメント付きで2週間で完成させました。それほど大きなプログラムではありませんが、とても勉強になりました。実際、GLで作成したプログラムはgraPHIGSで作成したものに比べて10倍速く動くことも実証されましたし、このデータがプレッシャーになったのか、graPHIGSのパフォーマンスも改善されたと聞いています。この時の経験は、IBMから独立した後、別の某自動車メーカーにgraPHIGSの使い方をお教えする、という仕事で役立ちました。

独立してから1年後には、某都市銀行のトレーディングシステムの開発に関わるようになりました。といっても開発者としてではなく、開発支援のコンサルタントとしてです。開発用の環境を整備したり、その運用管理を行ったり、開発中に発生するトラブルをつぶす、というのが主な役割でした。この仕事をしていた時には、C言語やK Shellを使った細かいプログラムをけっこう作っていた記憶があります。またトラブルシューティングのために、X-Windows/Motifを使ったウィジェットプログラミングもやりました。でもあまり「プログラミングでメシを食っている」という感じではありませんでしたね。

Linuxの0.99が秋葉原で買えるようになったのは1993~4年頃でしたでしょうか。私もLinux 0.99のCD-ROMを購入して、自宅(というかオフィス)で、Linuxを動かすようになりました。この頃からawkにはまって、シェルの代わりにawkを使うことが多くなったような気がします。

ちょうど同じようなタイミングで、ある会社の次世代システムプロジェクトの担当者から「AIXで構築したシステムのパフォーマンスが十分に出ない」という話がもちかけられたました。そこでパフォーマンス分析の仕事を請け負ったのですが、この時は「プログラミングが仕事になった」という実感がありました。C言語で作成したパフォーマンスデータ収集プログラムをすべてのAIXマシンに仕込んでもらって、ある期間のパフォーマンスデータを収集し、それをawkで解析したのです。Linux上で動くawkスクリプトとMacintosh上で動くExcelマクロを連携させて、自動的に分析レポートを作成できるようにしたので、短時間でレポートを作成できました。分析レポート1枚あたりいくら、という契約だったので、私がこれまでに関わった仕事の中で、投入時間に対する報酬が最も大きい案件になりました。

でもプログラミングが仕事とそれなりに密接な関係にあった時代は、1990年代半ばに終わってしまいました。この頃から私のメインの仕事が、コピーライター業へと徐々にシフトしていったからです。


3.再び趣味の時代(1996~2007年頃)

仕事ではプログラムを作らなくなりましたが、趣味の世界ではチョロチョロとプログラミングを楽しんでいます。でもその目的は機械制御が中心でした。H8マイコンのコードをアセンブリ言語で書いたり、USB経由でサーボモーターを動かすためのドライバをC言語で書いたり。PLA(Programmable Logic Array)にも手を出しています。ロボットを作るために、組み込みLinuxからマルチチャンネルでサーボをコントロールする回路なんかを作りました。例えばこんな感じです。

PLAの制御回路

これはその回路にSH2マイコン(といっても32ビットでLinuxが動くすごいやつ)を載せたものです。裏側にXilinxのPLAが乗っています。下の2枚のプリント基板は自作です。

この手の自作がとても好きなのですが、最大の問題は「なかなかモノにならないこと」です。趣味なので仕事が忙しくなると中断せざるを得ないのですが、いざ再開しようと思ってもドキュメンテーションがいい加減なので、前回何をどこまでやったのか、なかなか思い出せないのです。また回路設計やプリント基板の制作、PLAへのロジック組み込み、さらにPLAを制御するためのプログラムの作成など、多岐にわたる知識が必要で、時間が経つと技術も進歩するため、知識が陳腐化するという問題もあります。そのため途中で放り出しちゃうケースが多いんです。

実際、上の写真の回路も、今の私には動かすことができないと思います。作った時には「大傑作!」だと思ったんですけどね。


4.仕事の時代をいまいちど...(2008年~)

それでもプログラミングは好きです。なんとかしてプログラミングを仕事にできないかと、今も考えています。今年の春からは、PHPを使ったWebプログラミングに着手しています。新しいサービスを公開して、何らかの形でオカネをいただけないかと、まあそんな甘いことを考えているわけです。もちろん今後も、メインの仕事はコピーライティングであり続けると思いますが...。

PHPは構文がC言語に似ているため、私にとっては馴染みやすいものでした。でも最近、他の言語のことがものすごく気になっています。JavaScriptはAjaxの実装で使わざるを得ないのでスタディを開始していますが、他にもRubyとかPythonとかLispあたりも、勉強しようかなと思っています。

実はLispに関しては20年前にもスタディしたことがあるのですが、当時は個人で入手しやすいLisp実装系があまりなかったことと、括弧の羅列がちょっと気持ち悪かったこと、関数型言語というものが理解できなかったことから、結局はC言語メインになってしまいました。でも今は関数型言語の生産性や自己拡張性に惹かれつつあります。

それからオブジェクト指向も好きになりました。最近までオブジェクト指向の価値があまりよくわからなかったのですが、今年9月にPHPのフレームワークもどきを作った時に、オブジェクト指向の強みが理解できたような気がします。

もし何らかのサービスを公開するのであれば、どれだけ低いコストで提供できるのか、そして新たなアイディアの盛り込みや改良をどれだけ短期間で行えるのかが、重要な鍵になると思います。よほど大規模なユーザー数を想定するのでない限り、コストというのは結局のところ人月ですから、少ない人数でも十分なパワーを発揮できる言語が必要です。またコードの読みやすさ、改変のしやすさも重要です。これらの要件を満たす言語はどれなのか。いまはそれを探っているところです。

「さっさと作って公開すればいいじゃん」という意見もあると思います。でもプログラミング言語のようなベーステクノロジーの選択というのは、店を開くときにどのような立地を選ぶのかに、とても似ていると思うんです。店の内装やメニューは後から簡単に変えられますが、立地条件を変えるにはかなりのコストがかかります。プログラミング言語も、いったん選択して大きなコードを書いてしまうと、なかなか他の言語に移ることは難しいと思います。

それ以上に怖いのは、使用する言語によって開発者の思考パターンが支配される可能性もあるということです。実際、BASICとC言語では、プログラミングの発想がまったく変わってしまいます。PHPでも、オブジェクト指向を使うか使わないかで、問題解決のアプローチはまったく異なります。それは単にコーディングスタイルが変わるというレベルではなく、大げさにいえば「世界観が変わる」といった感じなのです。

ということで、今、勉強のまっ最中です。なんだか10年間のブランクの後、必死にキャッチアップしているような気分です。遅れてきたプログラマー、といった感じですね。あるいは四十の手習いか。まあどんなことでも、始めるのに遅すぎるということはないでしょう。

それにしても、今はプログラマーにとって、とてもいい時代ですね。自分が作成したプログラム(というかサービス)を、インターネットで簡単に公開できるんですから。こんな時代にプログラミングしないなんで、ホントにもったいない。そう思います。
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今回の株価下落で感じたこと(3)

ブランディング試論
2008.11.07
今日もまた株価が下がりましたね~。激しい値動きを見ていると、なんだかワクワクします。こう「ダイナミックに何かが動いている」というのが、楽しいんですよね。もちろんそれは株価でなくてもいいんですが、数字として見えやすいので、つい注目しちゃうんですよ。

で、今回の株価下落(というか最近では乱高下といった方がいいかな?)で感じたことの続きです。ちょっと思ったのですが「近い将来に日銀の存在意義ってなくなっちゃう」んじゃあないかと。まあ経済の素人がいうことなので、怒らないで聞いてくださいね。単に門外漢の素朴な疑問なんですから。

大まかにいうと、この疑問には3つの要素があります。

1.日銀の決定が実際の経済にどれだけの影響を与えているのかという、素朴な疑問。

日銀には紙幣の発行、銀行の銀行、政府の銀行という3つの役割があるといわれています。まあ私も子供向けの解説サイトを読んでニワカ勉強をしたわけですが、実際の経済活動に最も影響を与えるのは、銀行の銀行としての役割ですよね。銀行への貨幣提供や公定歩合の設定で、貨幣の流通をコントロールしているわけです。もし民間の経済活動に対する資金の貸し手が銀行しかないのであれば、このモデルでも強力なコントロール能力を持つことになると思います。

でも最近では資金の貸し手(というか調達先)は多様化しており、必ずしも銀行が貸し手であるとは限りません。むしろなんとかファンドだったり、ノンバンクだったり、そういうところから調達されている資金の方が多いような気がします。これが一般的な現象になると、銀行を通じた通貨流通のコントロールは、ほぼ不可能になっちゃいますよね。

日銀が経済活動に対するコントロールを失いつつあることは、ゼロ金利政策を採用している間、実際の経済活動が金利政策とは無関係に(少なくとも私にはそう見えた)動いていたことからも、すでに実証されているような気がします。そもそも公定歩合を限りなくゼロに近づけるというのは、その影響力を限りなくゼロに近づけるのと同じことだと思います。実際の金利というものは、相手の信用によって変わってきます。公定歩合というものは、あくまでも金利の「下方限界」を示すものであり、これがゼロに限りなく近いというのは「下方限界を設定しない」といっていることに等しいわけです。つまりある意味、人為的なコントロールを放棄したことになる。だって「金利の最低基準はゼロパーセントなんだよ」というのは、自然状態のデフォルト設定じゃあないですか。デフォルト設定ではない設定を行うからこそ、そのコントロールには意味があるわけです。まあ実際の銀行間取引には実質マイナス金利というのもあったそうですが。

最近も公定歩合(というか政策誘導金利)を引き下げましたが、株式市場はこの発表に先行し、株価が上昇しています。新聞報道によれば「日銀の利下げ観測から株価が上昇」となっているのですが、いったい誰が「観測」したのでしょうか。もし「観測者」が存在するのであれば、結果的にこの「観測者」が日銀の行動を方向付けた結果になります。利下げ観測で株価が上昇したのであれば、もし観測通りの行動を取らなければ、株価が大幅下落する可能性があり、これは少なからぬプレッシャーになるはずだからです。これが仮に予定調和の結果だとしても、因果関係と時間的な発生タイミングが逆転していることになる。私の頭が悪いせいかもしれませんが、なんだかちょっと腑に落ちません。誰かわかりやすく説明してくれると助かるのですが。

最近では経済活動のコントロールを公開市場調整で行っているようですが、これもすでに「日銀だけの力では不十分」といった印象があります。各国の中央銀行による協調介入が、当たり前のように報道されていますからね。そもそも個々の国に個別の中央銀行が存在するのは、自国の経済活動を独立してコントロールできるという前提が必要なのではないか。もしこの前提が危なくなれば、いずれは国毎の中央銀行は不要になっていくような気がするのです。


2.各国通貨の発行に関する素朴な疑問

今回のバブル崩壊では、為替相場もけっこう乱高下しました。これで得するのは、為替相場に参加している投機家と、FX等のサービスを提供している金融業者でしょう。それでは他の人はどうなのか。企業経営に関わっている人のほとんどは、正直言って「迷惑だなあ」と感じているのではないでしょうか。

為替相場の乱高下は、ドルの信頼が低下したことや、ユーロ圏の経済が意外に脆そうだという観測から来ているみたいです。これは「基軸通貨の設定」が、難しくなったことを意味するような気がします。現在の基軸通貨はドルですが、ついこの間までは「ユーロがそれに取って代わる可能性」も議論されていました。これらの通貨が相対的に弱くなれば、ひとつの通貨を機軸とするシステムは、脆弱にならざるを得ません。事実すでに、ドルやユーロを介さずに、個々の通貨が直接やり取りされる取引が増えているそうです。

この傾向がさらに活発化すれば、いずれは問題にぶつかります。それは複雑性への対処という問題です。基軸通貨を設定し、常にそれを軸とした評価や取引を行っていれば、取引の複雑さは一定の範囲内に収まります。もし通貨の種類が100種類なら、基軸通貨を軸とした99通りの取引が存在すればいい。しかし基軸通貨を介さないことが一般的になれば、取引の組み合わせは最大で9900通りになります。これは優秀な頭脳を持った一部の人には望ましい状態かも知れませんが、多くの人々にとっては複雑すぎます。

それでは現実の通貨を基軸通貨にせず、かつこの複雑さを減少させるにはどうすればいいのか。ひとつの解答は「メタ通貨」を軸にすることです。つまりどこの国の通貨でもない仮想的な通貨を、各国通貨の評価や取引の基準にすればいい。各国通貨の価値を定義する通貨という意味で「メタ通貨」ということです。もちろんこれを実現するには、人々の発想を大きく転換する必要がありますし、誰がこのメタ通貨を管理するのかという問題もある。でも金本位制からの離脱に比べれば、その革新性は小さいと思います。そもそもすでに、実際の紙幣を扱うことなく、電子的なビットで通貨を取り引きできる時代なのです。もう一歩踏み出せば、メタ通貨の導入だって不可能ではないでしょう。すでにリンデンドルみたいに、その片鱗は見え始めていますしね。

もし物理的な紙幣を使う必要のない経済社会が実現し(取引はすべて電子的に行われる)、その中でメタ通貨が基軸通貨となったと仮定しましょう。この世界ではどのようなことが起こるのでしょうか。各国通貨はメタ通貨を基準に価値が計られ、その相対的な価値を示すデータとしてやり取りされるようになります。そうなれば実際に使っている通貨が、自国通貨なのかメタ通貨なのかという意識は、次第に曖昧になっていくのではないか。長期的には多くの人が利便性を取って、メタ通貨を使うようになるでしょう。そうなれば各国が個別に通貨を発行する意味がなくなっていきます。

もちろんこの仮定そのものが飛躍していますし、その後の推論も高い必然性があるわけではありません。でも今回のように「ある経済エリアの問題が瞬時に世界各地に影響する時代」において、そもそも経済エリア毎に通貨を分ける必要があるのでしょうか。もし国境が経済的なインパクトを減じる効果を持っているのであれば、ここを境界として通貨を分け、各通貨のインターフェースを設定することには大きな意味があります。しかし境界そのものの機能が弱いのであれば、通貨の分離とインターフェースの設定は、まったく意味がありません。プログラミング的に言えば、グローバル変数をバシバシ使っているのに、引数と戻り値にこだわっているようなものです。オブジェクト指向的に言えば、すべてのプロパティがパブリックで外部からバンバンアクセスされているのに、それでも「メソッド経由でメッセージを受け取る」という原則論を信じているようなものです。

もしそうであれば、通貨発行権というものも意味がなくなります。つまり紙幣の発行という日銀の役割も、存在意義がなくなるわけです。


3.政府の銀行という役割への疑問

単に政府の「預金」を預かったり、決済に使うということであれば、別に日銀でなくても構わないはずです。原理的に言えば。


別に私は「日銀嫌い」というわけではありません。高校の同級生も一人日銀に勤めていますし、個人的には「日銀、つぶれないといいよね」と思っています。でも今回のバブル崩壊でかいま見えたいくつかの現象から推察すると、各国個別の中央銀行は、まもなくその役割を終えるんだろうなあ、と感じているのです。

これは「国家とは何か」という議論にもつながっていくと思います。通貨発行権は国家の重要な主権のひとつですからね。

すでに軍事力は(少なくともいわゆる先進国では)単独行使が難しくなっており、EUでは通貨発行権も国家の手から離れました。今後は警察の活動も、次第に国境を超えていくことになるでしょう。犯罪の広域化によってすでに県警単位の活動には限界があることが明確になっていますが、今後は国際的な連携もさらに強化する必要があります。そうなれば警察権というものも、次第にそれぞれの国家が保有すべきものではなくなる可能性があります。

ほんとうに今後どうなっていくのか、難しい問題ですね。でも少なくとも、これまで水面下で進んでいた大きな流れが、顕在化するタイミングを迎えつつあるような気がします。今回のバブル崩壊は、その一端をかいま見せたのだと思うのです。

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iPod touchのブランディング

ブランディング試論
2007.12.05
iPod touchの話はそろそろ終わりにしようと思ったのですが
最後にブランディングの視点から、この製品を考えたいと思います。
以前このブログで展開した「ブランディング試論」の
格好のケーススタディではないかと感じているからです。

実は昨日、総武線の社内で
iPod touchを使っている人をふたり見かけました。
ひとりは40代後半くらいの男性、
もうひとりはやはり40代くらいの女性です。
こういう書き方をすると
「けっこう売れているのね」
という印象になってしまいますが
私がiPod touchのユーザーを見たのは
実はこれが初めてだったのです。
実際にiPod touchがどれくらい売れているのか、
私にはよくわかりません。
でも使っている人を見る機会がこれほど少ないのは
話題になっている割には売れていないのではないでしょうか。

本当のところはわからないのですが
アップルはiPod touchの販売量を、それほど気にしていないのではないか。
それよりも世の中にひとつの流れを作ることを目指しているのではないか。
そういう感じがものすごくします。

iPod touchを機能面から見ると、正直に言って中途半端です。
メディアプレイヤーとして使うことを考えれば
ソニーやCreative、iRiverの製品の方がよさそうです。
というか、iPod nanoを選べばいいんですよね。
でも「新しい体験」を提供しているという点では、
他の製品では絶対に取って代われない魅力があります。
でもこの魅力に負けて買ってしまう人は
それほど多くないでしょう。

10人いたら、8~9人はiPod touchを選ばないと思います。
以前「週刊アスキー」のクロスレビューでも取り上げられましたが
ソニーのアレよりも、点数は低かった記憶があります。
客観的に考えれば、決して“いい製品”ではない。
でも特定の人にとっては、たまらない魅力がある。

iPod touchみたいなガジェットが好きな人の中には、
「これで何ができるだろう」と、いろいろ考える人が
多いような気がします。
2chでは“キモオタ”などと呼ばれているみたいですが
「実際に使えるもの」よりも「可能性を感じさせるもの」の方に、
抵抗しがたい魅力を感じる人々です。
iPod touchはこのような人々に
ターゲットを絞り込んでいると思います。
つまり「強烈な支持をしてくれるユーザー」の獲得が最優先で
今の段階では「普通の人々」に売ることは、
あまり考えていないのではないでしょうか。

なぜそう考えたのか。ここからは私の邪推です。

まずiPhoneとiPod touchのリリース時期に注目してみましょう。
アップルは「携帯電話を定義し直す」というスローガンで
今年1月にiPhoneを発表し、6月から販売を開始しました。
その後、iPod touchを9月に発表、その月のうちに販売を開始しています。
販売開始の時期が、ちょっと近すぎる気がしませんか?
おそらくiPhoneの後にiPod touchが企画されたのではなく
これらは同時に企画されたか、ひょっとすると
iPod touchの方が先に企画されていたのではないか。

ニュースサイトなどでは
「iPod touchはiPhoneから電話機能を省いたもの」
という言い方がされていることが多いのですが
「新しいユーザー体験」という側面から見ると
iPhoneよりもiPod touchの方が、よりコアな感じがします。
言い方を変えれば、iPod touchの価値を理解してもらう手段として
まず最初に携帯電話というエリアに切り込んだのではないか。
つまり「iPod touchを電話に応用したのがiPhone」
というべきだと感じられるのです。
そしてそれが2ヶ月間で爆発的に売れたので
元々のコンセプトをより鮮明に打ち出せるiPod touchを
その後すぐにリリースしたのではないでしょうか。

先にiPhoneを出したのも、機能的に明確なので
市場性が高いと考えたからでしょう。
コンセプチャルなものを最初に出しても
市場に受け入れられるまでに時間がかかるので
大量に売れることは期待できません。
しかし「携帯電話」というわかりやすい形でリリースすれば
それなりに幅広い人々へとリーチできます。
よりコンセプチャルな“コアな製品”は、その後で出せばいい。

そもそもiPod touchは、ハードウェアがiPhoneと全く違います。
これだけ違うものを、わずか3ヶ月で設計・量産できるわけがない。
iPod touchの量産準備は、iPhoneと
並行して進められていたと考える方が自然です。
そのリリース時期をいつにするのかだけが
問題だったのだと思います。

もうひとつ着目したいのが、Jailbreakの存在です。
これはiPhoneやiPod touchの“脆弱性”を利用して
内部で動いているOSXのroot権限を取得し
外部からアプリケーション等を自由に導入し
動かせるようにすることを意味します。

アップルは、ネイティブで動くアプリケーションの追加導入を
正式には認めていません。
現在はまだ、正規の開発手段すら提供されていないのです。
しかしすでに、ネイティブアプリケーションは、
もはやすべてを試すことが困難なほど
ものすごい数になっています。

「新しい体験」の可能性を追求していくには
数多くのアプリケーションが生み出される必要があります。
通常であれば、開発者をパートナーにして
サードパーティアプリケーションの開発体制を整える
という方法が取られるべきでしょう。
しかしアップルは、その方法を取りませんでした。
その結果、短期間で膨大な数のアプリケーションが生まれている。
これは開発者の“ハック魂”を動かしたからだと思います。
邪推ですが、アップルはこれも計算していたのではないか。

iPhoneはリリースされてからわずか3日でハックされ
内部で動いているOSXへのアクセスが行われました。
その後、このハックの手法がJailbreakとして洗練されていくのですが
iPod touchが登場してから、そのスピードが上がっているように見えます。
アップルはiPod touchへのハックを、実は歓迎しているのではないか。
ひょっとすると脆弱性も“わざと”残されているのではないか。
もちろんくどいようですが、これも邪推に過ぎません。

いずれにしてもiPod touchは、それほど多くの数ではないにせよ
特定の人々のマインドシェアをがっちりと握ることに成功しています。
しかも今の段階で心を掴まれた人々の中には、
アプリケーション開発などの技術力を持っている人がおり
インフルエンサーとしての役割を果たせる人々もいる。
初期段階のコアなユーザーを獲得する、というブランディングは
見事に成功しているといえます。

そもそもブランディングというのは、
「ものを売ること」を目的にすべきではないと思います。
ブランディングは「人のココロを動かす」ためのものです。
「人のココロが動く」ことで、世界が変わっていくのです。
つまり「世界を変える」ことを目指すのが、
ブランディングの本質ではないかと思うのです。
iPod touchはこれを短期間で着実に実現している。
これはすごいことです。
このところiPod touch対応を打ち出した無線LANサービス等が
続々と登場しているのも、そのひとつの現れでしょう。
その結果として商品が売れれば、
さらに喜ばしいのは言うまでもありませんが。

さて次のステップはどうなるのでしょうか。
もし私なら、まずiPod touchをiPodブランドから独立させます。
だってiPod touchは、iPodじゃあないですよ。
機能面ではかぶっているところもありますが、本質的にまったく別物です。
例えば「iTouch」といったブランド名を作って
新しいラインにした方がすっきりすると思うのです。

その上で、iTouchのラインアップを増やしていきます。
例えば表示パネルの大きさをもっと大きくした「iTouch slate」とか。
あるいは現行サイズのものを「iTouch solo」にして
パネルサイズを大きくしたものを「iTouch doppio」
なんていうのもいいかもしれません。

iPhoneも「iTouch phone」という位置づけにしちゃえばいいんです。
そうすればシスコとの間の問題も解決するし。
最初にiPhoneを出した時に「iPhone」という名前を使ったのは
短期間で市場を制覇する上で重要な意味を持っていたと思います。
でもiPod touchがある程度の認知を得た段階に入れば
iPhoneという名前は邪魔になってくるような気がします。

とにかくアップルは、iPod touchで見事なほど、
人のココロを動かすことに成功しています。
これが計画的なのか、そうではないのかはわかりませんが
ブランディングを考える上で、実に参考になる事例だと思います。

以上、今週のヨタバナシでした。

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再び適用限界を考える

ブランディング試論
2007.08.10
ここまでパーソナリティ・ブランディングの考え方や
そのコア・コンテンツのあり方について述べてきましたが、
ここでいま一度、適用限界について考えてみたいと思います。

パーソナリティ・ブランディングの考え方は、
どのようなエリアで通用するのでしょうか。


【“再び適用限界を考える”の続きを読む】

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潜在顧客を情報でもてなす

ブランディング試論
2007.08.09
自分たちがいったいナニモノなのかを明確に打ち出すことができ
しかも顧客や潜在顧客が“価値がある”と評価できる内容であること。
これがコア・コンテンツを作る上での基本的な方向性になります。

早い話が、あなたの特長を活かせる範囲で
潜在顧客になんらかの“情報”をサービスする。
これがコア・コンテンツに求められる内容です。

あなたの会社や組織が何らかの専門知識を持っているのなら
その知識を整理して、順次提供していくことが望ましい。
コンテンツが蓄積されていけば、潜在顧客にメリットを提供でき
あなたの会社や組織に“何ができるのか”も浮き彫りになります。


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