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今回の株価下落で感じたこと(3)

ブランディング試論
2008.11.07
今日もまた株価が下がりましたね~。激しい値動きを見ていると、なんだかワクワクします。こう「ダイナミックに何かが動いている」というのが、楽しいんですよね。もちろんそれは株価でなくてもいいんですが、数字として見えやすいので、つい注目しちゃうんですよ。

で、今回の株価下落(というか最近では乱高下といった方がいいかな?)で感じたことの続きです。ちょっと思ったのですが「近い将来に日銀の存在意義ってなくなっちゃう」んじゃあないかと。まあ経済の素人がいうことなので、怒らないで聞いてくださいね。単に門外漢の素朴な疑問なんですから。

大まかにいうと、この疑問には3つの要素があります。

1.日銀の決定が実際の経済にどれだけの影響を与えているのかという、素朴な疑問。

日銀には紙幣の発行、銀行の銀行、政府の銀行という3つの役割があるといわれています。まあ私も子供向けの解説サイトを読んでニワカ勉強をしたわけですが、実際の経済活動に最も影響を与えるのは、銀行の銀行としての役割ですよね。銀行への貨幣提供や公定歩合の設定で、貨幣の流通をコントロールしているわけです。もし民間の経済活動に対する資金の貸し手が銀行しかないのであれば、このモデルでも強力なコントロール能力を持つことになると思います。

でも最近では資金の貸し手(というか調達先)は多様化しており、必ずしも銀行が貸し手であるとは限りません。むしろなんとかファンドだったり、ノンバンクだったり、そういうところから調達されている資金の方が多いような気がします。これが一般的な現象になると、銀行を通じた通貨流通のコントロールは、ほぼ不可能になっちゃいますよね。

日銀が経済活動に対するコントロールを失いつつあることは、ゼロ金利政策を採用している間、実際の経済活動が金利政策とは無関係に(少なくとも私にはそう見えた)動いていたことからも、すでに実証されているような気がします。そもそも公定歩合を限りなくゼロに近づけるというのは、その影響力を限りなくゼロに近づけるのと同じことだと思います。実際の金利というものは、相手の信用によって変わってきます。公定歩合というものは、あくまでも金利の「下方限界」を示すものであり、これがゼロに限りなく近いというのは「下方限界を設定しない」といっていることに等しいわけです。つまりある意味、人為的なコントロールを放棄したことになる。だって「金利の最低基準はゼロパーセントなんだよ」というのは、自然状態のデフォルト設定じゃあないですか。デフォルト設定ではない設定を行うからこそ、そのコントロールには意味があるわけです。まあ実際の銀行間取引には実質マイナス金利というのもあったそうですが。

最近も公定歩合(というか政策誘導金利)を引き下げましたが、株式市場はこの発表に先行し、株価が上昇しています。新聞報道によれば「日銀の利下げ観測から株価が上昇」となっているのですが、いったい誰が「観測」したのでしょうか。もし「観測者」が存在するのであれば、結果的にこの「観測者」が日銀の行動を方向付けた結果になります。利下げ観測で株価が上昇したのであれば、もし観測通りの行動を取らなければ、株価が大幅下落する可能性があり、これは少なからぬプレッシャーになるはずだからです。これが仮に予定調和の結果だとしても、因果関係と時間的な発生タイミングが逆転していることになる。私の頭が悪いせいかもしれませんが、なんだかちょっと腑に落ちません。誰かわかりやすく説明してくれると助かるのですが。

最近では経済活動のコントロールを公開市場調整で行っているようですが、これもすでに「日銀だけの力では不十分」といった印象があります。各国の中央銀行による協調介入が、当たり前のように報道されていますからね。そもそも個々の国に個別の中央銀行が存在するのは、自国の経済活動を独立してコントロールできるという前提が必要なのではないか。もしこの前提が危なくなれば、いずれは国毎の中央銀行は不要になっていくような気がするのです。


2.各国通貨の発行に関する素朴な疑問

今回のバブル崩壊では、為替相場もけっこう乱高下しました。これで得するのは、為替相場に参加している投機家と、FX等のサービスを提供している金融業者でしょう。それでは他の人はどうなのか。企業経営に関わっている人のほとんどは、正直言って「迷惑だなあ」と感じているのではないでしょうか。

為替相場の乱高下は、ドルの信頼が低下したことや、ユーロ圏の経済が意外に脆そうだという観測から来ているみたいです。これは「基軸通貨の設定」が、難しくなったことを意味するような気がします。現在の基軸通貨はドルですが、ついこの間までは「ユーロがそれに取って代わる可能性」も議論されていました。これらの通貨が相対的に弱くなれば、ひとつの通貨を機軸とするシステムは、脆弱にならざるを得ません。事実すでに、ドルやユーロを介さずに、個々の通貨が直接やり取りされる取引が増えているそうです。

この傾向がさらに活発化すれば、いずれは問題にぶつかります。それは複雑性への対処という問題です。基軸通貨を設定し、常にそれを軸とした評価や取引を行っていれば、取引の複雑さは一定の範囲内に収まります。もし通貨の種類が100種類なら、基軸通貨を軸とした99通りの取引が存在すればいい。しかし基軸通貨を介さないことが一般的になれば、取引の組み合わせは最大で9900通りになります。これは優秀な頭脳を持った一部の人には望ましい状態かも知れませんが、多くの人々にとっては複雑すぎます。

それでは現実の通貨を基軸通貨にせず、かつこの複雑さを減少させるにはどうすればいいのか。ひとつの解答は「メタ通貨」を軸にすることです。つまりどこの国の通貨でもない仮想的な通貨を、各国通貨の評価や取引の基準にすればいい。各国通貨の価値を定義する通貨という意味で「メタ通貨」ということです。もちろんこれを実現するには、人々の発想を大きく転換する必要がありますし、誰がこのメタ通貨を管理するのかという問題もある。でも金本位制からの離脱に比べれば、その革新性は小さいと思います。そもそもすでに、実際の紙幣を扱うことなく、電子的なビットで通貨を取り引きできる時代なのです。もう一歩踏み出せば、メタ通貨の導入だって不可能ではないでしょう。すでにリンデンドルみたいに、その片鱗は見え始めていますしね。

もし物理的な紙幣を使う必要のない経済社会が実現し(取引はすべて電子的に行われる)、その中でメタ通貨が基軸通貨となったと仮定しましょう。この世界ではどのようなことが起こるのでしょうか。各国通貨はメタ通貨を基準に価値が計られ、その相対的な価値を示すデータとしてやり取りされるようになります。そうなれば実際に使っている通貨が、自国通貨なのかメタ通貨なのかという意識は、次第に曖昧になっていくのではないか。長期的には多くの人が利便性を取って、メタ通貨を使うようになるでしょう。そうなれば各国が個別に通貨を発行する意味がなくなっていきます。

もちろんこの仮定そのものが飛躍していますし、その後の推論も高い必然性があるわけではありません。でも今回のように「ある経済エリアの問題が瞬時に世界各地に影響する時代」において、そもそも経済エリア毎に通貨を分ける必要があるのでしょうか。もし国境が経済的なインパクトを減じる効果を持っているのであれば、ここを境界として通貨を分け、各通貨のインターフェースを設定することには大きな意味があります。しかし境界そのものの機能が弱いのであれば、通貨の分離とインターフェースの設定は、まったく意味がありません。プログラミング的に言えば、グローバル変数をバシバシ使っているのに、引数と戻り値にこだわっているようなものです。オブジェクト指向的に言えば、すべてのプロパティがパブリックで外部からバンバンアクセスされているのに、それでも「メソッド経由でメッセージを受け取る」という原則論を信じているようなものです。

もしそうであれば、通貨発行権というものも意味がなくなります。つまり紙幣の発行という日銀の役割も、存在意義がなくなるわけです。


3.政府の銀行という役割への疑問

単に政府の「預金」を預かったり、決済に使うということであれば、別に日銀でなくても構わないはずです。原理的に言えば。


別に私は「日銀嫌い」というわけではありません。高校の同級生も一人日銀に勤めていますし、個人的には「日銀、つぶれないといいよね」と思っています。でも今回のバブル崩壊でかいま見えたいくつかの現象から推察すると、各国個別の中央銀行は、まもなくその役割を終えるんだろうなあ、と感じているのです。

これは「国家とは何か」という議論にもつながっていくと思います。通貨発行権は国家の重要な主権のひとつですからね。

すでに軍事力は(少なくともいわゆる先進国では)単独行使が難しくなっており、EUでは通貨発行権も国家の手から離れました。今後は警察の活動も、次第に国境を超えていくことになるでしょう。犯罪の広域化によってすでに県警単位の活動には限界があることが明確になっていますが、今後は国際的な連携もさらに強化する必要があります。そうなれば警察権というものも、次第にそれぞれの国家が保有すべきものではなくなる可能性があります。

ほんとうに今後どうなっていくのか、難しい問題ですね。でも少なくとも、これまで水面下で進んでいた大きな流れが、顕在化するタイミングを迎えつつあるような気がします。今回のバブル崩壊は、その一端をかいま見せたのだと思うのです。
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