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不思議な商品

未分類
2008.10.04
ややや、またしてもご無沙汰です。気がついたら前回のエントリーから3週間以上経っていました。

最近時間が経つのがとても速い。気がつくと1日なんてあっというまに過ぎてしまいますし、あれあれというまに1週間、2週間が経過しています。たぶん好きなことをやっているせいでしょうね。仕事ももちろんボチボチとやっているのですが、取材や打ち合わせがなくて晴れている日は、自転車で30~50kmほど走っています。だいたい週に2回くらいのペースですね。その他の時間のほとんどはプログラミングに没頭しています。実は9月に入ってから独自のPHPフレームワークを作っており、オブジェクト指向のパワフルさを楽しんでいます。でもまあ、この話は別の機会に。

で、前回の続きなんですが、書籍の未来の話です。実際にどうなるかは本当に「神のみぞ知る」なのですが「書籍の利用者自らが代金を支払う商品」としての未来は、けっこう暗いのではないかと思っています。つまり、コンテンツを書籍という形態で販売するビジネスは、どんどん衰退するのではないかと考えているのです。

もちろん書籍の市場が短期間でゼロになることはないと思います。また一部のコンテンツは今後も長期にわたって、書籍という形態で流通するのが最適だとも考えています。しかし現在書籍の形で流通しているコンテンツの多くが、将来は書籍としては売れなくなる時代がくるような気がします。

なぜそう思うのか。そのひとつの理由は、書籍というものが、商品として不合理な存在だからです。

一般的な商品では多くの場合、購入者はその商品の「価値」をあるていど評価してから購入します。もちろん使ってみないと善し悪しがわからない商品も少なくありませんが、一般消費財はその商品をリピート購入するか否かを自分で判断できますし、耐久消費財でも機能やスペックなど、商品の中身を吟味できます。

しかし書籍の場合、その購入には常に「博打」の要素がつきまといます。購入した書籍の中身に価値があるかどうかは、結局のところ読んだ後でないと判断できないのです。しかもほとんどの書籍は、その価値が判断できた時点(つまり読了後)には、再度購入する必要はなくなっています。つまりユーザーがその価値を評価した時点で、その書籍の「商品としての価値」は失われているわけです。

だって一度読んだ本がいくら価値があるものでも、同じ本を2度、3度買うことってないでしょう?ひょっとしたらそういうことをする人もいるのかもしれないし、私の本棚にもなぜか同じ本が2冊あったりします。でも私の場合はリピート購入ではなくて、以前読んだことを忘れて買ってしまうんですよね。しかも面白くない本に限って記憶がなくなっている。バカバカしい限りです。

つまり書籍って、中身を吟味する前に買う必要があり、どんなに素晴らしいものでも1回しか消費できないという、とても不思議な商品だというわけです。

私自身、これまで購入した書籍の中で、アタリに巡り会えたのは1~2割といったところです。「もう一度じっくりと読み返してみよう」と思えたものは、1割にも満たないかもしれません。もちろん私はそれでも構わないと思っているので、懲りもせずに書籍を買い続けています。問題は「価値がある」と思えた一冊も、「なんだこれダメじゃん」と感じた一冊も、商品に対して支出する金額はそれほど変わらないということです。優れた本にも1回しか代金を支払わないし、ダメな本にも1回は代金を支払っている。これが一般消費財なら、リピート購入という方法で、提供者に利益を渡せるのですが、書籍ではそうはいかない。芝居や映画だって、面白いものは複数回見に行くことができます。でも書籍は原理的にそれができない。

このような特性は、市場原理が適切に働かない、という結果を生むような気がします。そもそも商品を購入するという行為は、その商品の価値を評価したという、一種の投票行為としての側面を持っています。一般的な商品はこの「投票行為としての購入行為」が成立するのですが、書籍の場合にはこれが成立しないのです。もちろん特定の作家や特定の出版社のファンになって、その人/会社の書籍をリピート購入するという方法もあります。私にも「この人の新刊が出たら必ず買う」という作家は何人かいます。でもやっぱり、購入が博打になるケースの方が圧倒的に多い。

最近は「書籍のタイトルによって売上が大きく左右される」という指摘もあります。これはいったい何を意味しているのか。よく考えれば「商品としての書籍」というものの本質、その不完全さが理解できます。「最近はつまらない本がベストセラーになっている」とか「本当に価値のある本が売れなくなっている」といった議論もあるようですが(そんな論説だか批評をどこかで聞いたような気がする。空耳かもしれませんが)、これは商品としての書籍の本質からすれば、当然の流れなのではないかと思うのです。

たぶん、愛蔵版のコミックスや美術書、装丁に凝った書籍などは、書籍という「マテリアル感」が重要なので、書籍として存在すべきだと思います。また一部の新書や文庫本のように「気軽に楽しむ」書籍のケースでも、ポータビリティの高い書籍は「暇つぶし」という役割を担うことができます。でもコンテンツそのものが価値である場合、特に知識や知恵(ナレッジ)の提供が目的の書籍の場合には、書籍という商品形態は難しくなっていくのではないか。それではこれらのコンテンツはどこに行くのか。たぶんネットなんでしょう。

もちろんベストセラーになる書籍はこれからもなくならないと思う。でも書籍の形態で流通するナレッジの裾野は、どんどん狭くなっていくような気がします。つまり書籍の世界は、ベストセラーを出せる限られた執筆者と、その執筆者を押さえた一部の出版社だけで構成される、狭いサークルになっていくのではないか。

すでに雑誌市場の縮小によって、執筆活動でメシを食う道はかなり狭くなっているはずです。パソコン雑誌が一気に減った時には、パソコンライターの多くが職を変えていきましたが、それと同じことが大規模に起こっているような気がします。執筆者として生計を立てる上で、雑誌の存在は極めて大きなものです。雑誌の市場が消失すれば、安定的な収入を得ることが難しくなり、執筆者の裾野も狭くなっていきます。このような周辺状況も「商品としての書籍」の世界に、大きなインパクトを与えそうです。

そもそも執筆者にとって、数千~数万部程度しか売れない書籍を書くことは、経済的な観点からみれば「そろばんが合わない」話なんです。実は私もこれまで専門書を3冊執筆していますが、費やした時間の長さを考えると、印税の時間単価なんてごくわずかです。コンビニでアルバイトしていた方が、間違いなく時給は高い。その程度のものです。まあ、売れない本を書いちゃったんだから、仕方ないんですけどね。でも書くべきことを持っている場合には、その知識なり情報なりを、何らかの形で発信したいというのは、人間の本能のような気がします。それにこれは私の偏見かもしれませんが、他の人にとって価値のある情報や知識を持っている人というのは、たいていの場合その分野でメシが食えているので、書籍出版でメシを食う必要はなかったりします。

だからこそカネにならなくても本を出したいという人が、これまでにも数多くいたわけです。そういう人はこれからも数多く出てくるでしょう。でも今はネットで簡単に情報や知識を発信できます。こちらの方が書籍出版よりも、はるかに低コストでリスクも少ない。とすれば出版だけではメシが食えない、あるいはその必要がない執筆者は、必然的にネットに流れていくことになるでしょう。

すでにネット上には様々なコンテンツがあります。あふれかえっているといってもいいと思う。しかもその中身は玉石混交で「石の方が圧倒的に多い」という指摘もあります。情報の絶対量が増えれば、石の比率が高まるのは仕方ありません。でも玉の量だって、確実に増えています。問題は数多くの玉が、絶対量では玉よりもはるかに多い(のかもしれない)石の中に埋もれてしまうということです。

この問題を解決できる手段があれば、ネットはナレッジの宝庫として、もっと価値のあるものになるような気がします。そして現在の書籍流通のかなりの部分を、ネットが代替する時代がやってくると思うのです。
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